私のライターとしての原点~ある先生からの言葉~

はじめまして!
メディアレトリバーのライター【もか】と申します!

私は今でこそライターの仕事をしているのですが、実はもともと文章を書くのは好きではありませんでした。
しかし、高校時代に出会ったある先生の言葉をきっかけに苦手を克服できたのです。

その言葉は、今でもライター業で行き詰ったときのヒントにしています。

今回は、私のライターとしての原点となった出来事について、当時を振り返りながら語っていきます!

目次

声を使って表現したかった

私は高校1年生のときに放送部に入部しました。

入部を決めたのは中学3年生の頃。
当時の私はアニメや声優さんが大好きだったので、声を使って表現することに憧れを抱いていました。

「高校生になったら演劇部か合唱部か放送部に入りたい!」

そんな思いを胸に抱いて高校に入学したところ、私の高校に合唱部はなく、演劇同好会は活動休止中だったので、放送部に入部しました。

新入部員に課されたミッション

仮入部期間が終わり、新入部員がそろってきた頃に、顧問の先生から最初のミッションが言い渡されました。
放送部の最も大きな大会である「NHK杯全国高校放送コンテスト(通称:Nコン)」の県大会への出場です。

私を含めた新入生は必ず「アナウンス部門」に出場するように、顧問の先生から言われました。
アナウンス部門では、自分の高校にいる輝かしい実績を持つ人や、校内にある設備などを取材してアナウンス原稿を書き、その原稿を審査員の前で読むことが求められます。

つまり、自分で取材をして原稿を書かなければ、大会に出場できないのです。

苦手だった先生から言われた言葉

私は放送部の先輩のツテを利用して、なんとか取材対象を見つけました。

私が取材したのは、卓球部に所属するA先輩。
当時2年生でありながら、インターハイ出場を決めた実力者です。

放送部では、原稿を書いたら顧問の先生と副顧問の先生に見せ、両方からOKをもらわないと原稿を大会で読ませてもらえません。
副顧問のK先生はとても厳しく、私はかなり苦手としていました。

私はおそるおそるK先生に原稿を見せ、びくびくしながら読み終わるのを待ちました。
そして、K先生は私の目を見て、鋭い目つきでこう言ったのです。

「あなたはこの原稿で何を伝えたいの?」

私はしばらく言葉が出ませんでした。
K先生に言われるまで、私は漠然と「A先輩のすごさを伝えよう!」としか考えていなかったからです。

K先生からの質問に何も答えられなかった私は、「すみません、もう一度考えさせてください」と言い、逃げるように職員室を後にしました。

私は何を伝えたいのか

「もっと質問を考えるべきだった」
「A先輩のすごさを伝えるには、何が足りないんだろう」
「せっかく時間をいただいたのに申し訳ない」

色んなことが頭を駆け巡るなか、K先生の言葉が頭をよぎります。

「私がこの原稿で伝えたいことってなんだろう?」

私は部室に戻り、もう一度取材メモを読み返しました。
すると、A先輩が校門が閉まるギリギリまで練習をしていることや、毎朝自主練を欠かさずやっていることを見つけたのです。

「A先輩がインターハイに出場するために毎日努力してきたことを伝えよう!」

そう思い立った私は、もう一度A先輩に取材を申し込み、インターハイに出場するためにやってきた練習の工夫や努力したことを中心に質問を行い、再び原稿を書きました。

そのあと何度も2人の先生に原稿を見せ、晴れてOKをもらった私。
残念ながら全国大会には進めませんでしたが、「次からはしっかり考えてアナウンス原稿を書き、大会に臨みたい」と思いました。

今でも立ち止まったときに問う

あれから十数年が経ち、私は現在、障害福祉サービス向けの記録・請求ソフトに関する記事を執筆しています。
専門用語について解説することも多く、記事を書きながら「本当にこの内容でいいのかな?」と考えてしまう日もあります。

そんなときに思い出すのが、K先生から言われた「あなたはこの原稿で何を伝えたいの?」という言葉です。

確かに、専門的な知識を伝えることも大事です。
しかし、ライターの私が本当に伝えるべきことは、「ソフトを使って記録や請求業務を効率化し、利用者さんの支援や事業所の経営など、本来やるべき業務に時間を割こう」というメッセージだと考えています。

高校で放送部に入部していなかったら。
Nコンのアナウンス部門に出場していなかったら。
K先生に出会わなかったら、今の私はなかったかもしれません。

私はこれからも自分自身に問い続けます。
「私はこの原稿で何を伝えたいの?」と。

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