高校時代、クラスメイトから心ない言葉を浴びせられた経験があります。その出来事は大人になっても心のどこかに残り続け、ふとした瞬間に小さなトラウマとして顔を出します。夢の中にクラスメイトが現れ、「まだ自分の中では終わっていなかったんだ」と気付かされることもありました。
今回は、ある夢をきっかけに、その記憶との距離が少し変わったと感じた体験について書いてみます。
高校時代に受けた忘れられない「言葉の矢」
高校時代、私はとあるクラスメイトから言葉による嫌がらせを受けていました。
私が登校するのは、まだ教室に3〜4人しかいないような静かな時間帯。すでに教室にいたその人が、近くにいる子に向かって、わざと聞こえるように悪口を言っていることがよくありました。
「絶対に性格悪いわ、アイツ」
「担任に好かれて調子に乗っているよな」
悪口を聞かされている子たちの反応を見るのが怖くて、そちらを向くことはできませんでした。スルーしていたのか、うなずいて同調していたのか、今となってはわかりません。
そうしたやりとりは、朝だけでなく、休み時間や人が少ない放課後にも続きました。「どうして?」「すごく悲しい」と思いながら、何も言い返せない自分が悔しくて、その無力感を大人になっても引きずっていたように思います。
繰り返される「やり直し」の夢
あれから10年以上が経ち、大人になった後も、ときどきその人が夢に現れました。不思議なことに、夢の中ではその人と仲良くしていたり、相手から謝られて許していたりするんです。
そして目が覚めた瞬間によく思うのは、「これが現実だったらよかったのに」でした。
「10代で手に入れられなかったものを、人は一生引きずりやすい」という言葉を耳にしたことがあります。どこまで本当かわかりませんが、自分に照らし合わせると、少し納得するところがあります。きっと私は、夢の中で当時の自分にとっての理想の関係を再現していたのかもしれません。
ある日、夢の中でとった初めての行動
でも先日、少し違う夢を見ました。
場所は当時の教室。私が席に着こうとすると、あの人がまた聞こえるように悪口を言ってきます。夢なのに、胸がぎゅっとなる感じが蘇りました。
学生の頃の私は「どうしてこんなことを言われるんだろう」と外側ばかりに気持ちが向いていましたが、夢の中の私はこう思っていました。
「逃げても苦しくなるだけ。自分のために勉強しにきているんだから、周りは関係ない」
当時と状況は同じなのに、向ける意識が「相手」から「自分」へ変わっていたのです。
そして目が覚めた瞬間、胸のざわつきがふっと消えていました。それ以来、その人が夢に出てくることは一度もありません。
自分のために頑張る、ができるようになって
これまでの私は、しんどくなるとすぐに「今日はもう無理」「また今度でいいや」と後回しにしてしまうことがよくありました。
以前、尊敬している筋トレ系インフルエンサーが「しんどくても、気分が乗らなくても、それでもやる(というマインドが大切)」という発信をしているのを目にしました。
その言葉にハッとした私は、「私も、自分のために少し頑張れる人でいたい」と思うようになりました。遊びたいときでも30分資格の勉強をしたり、気乗りしない日でもジムに足を運んだり。そんなふうに、自分の「今」に向き合う時間を少しずつ増やしていったのです。
もしかすると、日々の中で自分に意識を向ける選択を重ねていくうちに、夢の中でも「自分のためにそこにいる」という感覚を持てるようになっていたのかもしれません。
時間が解決するというのは、忘れることじゃないのかも?
「時間が解決してくれる」とよく言いますが、それはただ忘れることではないのかもしれません。
人は日々の経験の中で、気づかないうちに考え方や感じ方が変わっていきます。10代の自分には受け止めきれなかったことも、今なら抱え直せるようになっていたのだと思います。
それでも、あの出来事を「なかったこと」にはできません。ただ、「終わったこと」にして、静かに置いておけるようにはなりました。それが、私なりにたどり着いたトラウマとの向き合い方なのだと思います。


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