こんにちは。ライターの【maro】です。
今日は私の「習い事」にまつわる話をしたいと思います。
習い事の思い出
子どもの頃、私はピアノがやりたかったのに、なぜかヤ●ハでエレクトーンを習っていました。
多分白鍵と黒鍵があるものは全部ピアノだと思った親の凡ミスです。
なんだか鍵盤が上下で二段あるし、足も動かせと言われ、パニックに陥った私は「これは違う!」と全く乗り気になれず、当時の先生も今思えば厳しすぎる指導で……結局、いつしか足が遠のいてしまいました。
大人になってから思い出すのは、玄関から入らないエレクトーンを家の三階の窓から搬入したことや、決して安くなかった月謝を払ってくれた両親への申し訳なさです。
そんなわけで、習い事にはあまり良い思い出がなかった私ですが、幸いにも最近は自由に使えるお金と時間ができ、様々なことにチャレンジできるようになりました。
現在続けている習い事は、もうすぐ一年経つ英会話と、先日入会したばかりのキックボクシングです。
すべては「先生」との出会い
特に英会話で強く感じたのは、担当する先生との相性がどれほど重要かということです。
代講の先生が来るとよくわかるのですが、習い事において「誰に習うか」は、意欲や成果のすべてを決めると言っても過言ではありません。
少し前に通っていたダンス教室では、先生の度重なる遅刻や、その場で教えることを考え出す様子、さらには踊ってみたい曲を提案した他の生徒さんに「J-POP?洋楽とかさぁ、もっとカッコいいのないの?」と小馬鹿にした発言など、「若いから」では済まされない言動が多すぎました。
ダンス自体は好きだったのですが、最終的には運営に長文のお気持ちを伝えて辞めてしまったという経験があります(笑)
その点、英会話のT先生は、間違えても笑ったり、答えを急かすようなプレッシャーをかけたりしません。
「今のはちょっと惜しかったね!こういう時はこんな表現が良いと思うよ」
というスタンスなので、伸び伸びと「あ、なるほど!」と腑に落ちることが多く、伝え方もユーモアに溢れています。
成長という喜びと生活の変化
日曜の朝、レッスンに向かう前に、今日話したい英文を思い出そうと頭をフル回転させると、なんだかとても清々しい気分になります。
学生時代にbe動詞でつまずき、それ以降真面目に英語をやってこなかった私ですが、今、能動的に学習することは本当に楽しいです。
とはいえ、直近の海外旅行では話すどころかスマホの翻訳アプリに頼りっきりで、「今さら話せるようになる必要あるのかな?」と思うこともあります。
それでも私が英語を習い続ける理由。
それは、繰り返しの毎日の中で「成長」という小さな喜びが感じられるからです。
また、習い事で得られることは、技能の習得だけではありません。
以前は休みの日の午前中、惰性でずっと寝ていることが多かったのですが、レッスンがあることで午前中にシャキッと起き、「今日一日を無駄にしたくない」という意識が生まれました。
そんな私を見て、夫も最近、ずっとやりたかったボイストレーニングに通い始めました。
ボイトレも歌手を目指したり、プロだけが習うものではありません。
「やってみたかった」というシンプルな気持ちだけで、いつでも始めていいんです。
夫から「きっかけをくれてありがとう」と言われて、とても嬉しかったのを覚えています。
きっとその小さな一歩が、あなたと、あなたの周りの日常に、変化と彩りをもたらしてくれるはずです。


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