こんにちは、えりこです。
今回は、1週間エジプト旅行にいったときに身をもって体験した彼らの「無敵のメンタル」と、その裏にある驚きの精神構造について語りたいと思います。
何とかかんとか無事に帰国してこうして体験談を書けているわけですが、
……いや、「無事に」と言っていいのか怪しいくらい、魂をゴリゴリに削られてきました(笑)。
最初に言っておきます。
エジプトの街や彼ら-エジプシャンたちとの思い出に、いわゆる「心温まる良い思い出」はほとんどありませんでした。いや、なかったというか、数々のトラブルがそれらを凌駕していました。
まず街は排気ガスと砂埃にタバコの煙、そこらじゅうにいる野犬や野良猫の糞尿の匂いが鼻を突き、呼吸がしづらい。数時間外を歩くだけで、肌はざらつき、鼻水は止まらず滞在数日で喉も炎症し、薬局でよくわからない喉薬を買い渡ることになるとは予想もしなかったです。
彼らは目が合うとお金をせびりにくるし、無視しても進路を塞いで一生ついてきます。お店に逃げても待ち伏せするほどに…。
トイレに入れば、チップを払ったのに電気がない、水も流れない、紙もない、ハエが舞っている……。
外で野糞したほうがマシだと本気で思うレベルの地獄絵図でした。
でもヘトヘトになっていた帰りの飛行機でふと思いました。
あんなに毎日ブチ切れてバトルして、人間不信になりそうだったのにあのエジプシャンたちの「図太さ」だけは、一周回ってちょっと羨ましい、というか見習うところもあるかもって。
衝突事故さえも「神の予定」!?反省ゼロの衝撃
まず、一番ビビった話から。
Uberタクシーで移動していたときのことです。
運転手のお兄さんが運転中ずーっとスマホをいじってるんですよ。しかも、カイロの道ってめちゃくちゃ交通量が多いし、みんなスピード出してスレスレを走ってるんです。
右手はクラクションに添えて、左手にスマホ。
「怖いな、大丈夫かな」と思って身を任せていたら、案の定。スマホに夢中でブレーキが遅れて、前の車にドカンと衝突しました。
日本なら、もう顔面蒼白ですよね。
平謝りして、警察を呼んで、保険の手続きをして……。
ところが彼は、私の方を見ようともしません。ただ、片手をヒョイと挙げて「ごめんごめん、やっちゃったわ」みたいな軽いポーズをして終わり。
日本で言うと、カバンが少し腕にぶつかって「あすみません」ぐらいの感じです。
これ、実はイスラム教の「予定説(カダル)」っていう考え方が根底にあるみたいなんですよ。
彼らにとって、この世の出来事はすべてアッラー(神様)が数千年前からシナリオに書いていたこと。
「俺がスマホを見ていたから事故った」という因果関係じゃなくて、「ここで事故が起きることは神様が決めていた。俺が何をしてようが起きていたことなんだ」という解釈なんです。
だから、彼らは「反省」というエネルギーを1ミリも使いません。
反省するって、自分を責めて、精神を摩耗させるじゃないですか。エジプシャンはそれが全く感じられない。
すべてを「神様のせい」にできるから、事故の直後でも何事もなかったようにすました顔をしている。この徹底的な責任転嫁のシステム、ある意味で最強のメンタル管理術だと思いませんか?
「インシャアッラー」という名の魔法の免罪符
エジプトにいると、何回も聞く言葉があります。
それが「インシャアッラー(神が望めば)」。
これ、本来は「全力を尽くすけど、最後は神様にお任せします」っていう謙虚な言葉のはずなんです。でも、現代のエジプシャンたちの手にかかると、これが最強の「言い訳」に変貌します。
夕日を眺めるセーリングツアーに申し込んだときのこと。
約束の場所に15分遅れてきたガイドに「早くして」と言っても、「あと5分、インシャアッラー」を連発。結局、1時間ほど待たされて船に乗ったときには太陽はもう沈んでいました。一番の見どころを逃したのに、彼は悪びれもしません。
「夕日が沈んだのは、神が望まれたことだ。インシャアッラー」
返金を求めても全く取り合ってくれません。
でも、ここからがエジプシャンの不思議なところ。
申し訳なく思ったのか、夕食のレストランまで車で送ってくれたんです。
「お、意外といい奴じゃん」と思った私がバカでした。
レストランに着くと、「観光客はぼったくられるから、俺が注文してやる」と親切を装って、ちゃっかり自分の分まで注文。挙句の果てに、お会計のとき「レシートなくしたけど600ポンド(約1800円)だよ」って言ってきたんです。
でも私、見てたんですよ。彼がレシートをポケットに隠す瞬間を。実は300ポンドだったことを知っていたんです。
おごってあげたのに、さらに倍額ふっかけてくる。もう喧嘩するのも疲れたから言い値を払って店を出たら、なんと彼、追いかけてきて言ったんです。
「チップをくれなきゃ困るよ!」
もちろんチップ文化なのは重々承知の上ですが、
遅刻して、ご飯おごらせて、さらに倍額ピンハネしておいて、最後の一滴まで毟り取ろうとする。このどこまでも図々しい執着心。
でもこれも、イスラムの「ザカート(喜捨)」の精神が関係しているみたいです。
「持っている人が、持っていない人に分けるのは当然の権利」という考え方。彼らにとって、恥を忍ぶことよりも「今、目の前の1ポンド」を掴むことのほうが、生きる上で遥かに優先順位が高いんです。
5000年の歴史が育んだ「マアレイシュ」の知恵
神殿ツアーではガイドを断っただけで逆ギレされて1時間放置されるし、レストランでは頼んでいない料理を平然と請求される。ラクダ乗りは30分の約束なのに20分で降ろされる。
エジプトは、私たちの「常識」や「正義」が本当に事あるごとに崩壊していく場所です。
そんな絶望的な理不尽の中で、彼らが繰り返す言葉があります。
それが「マアレイシュ(気にするな/大丈夫/仕方ない)」。
エジプトの歴史を少し調べてみると、ナイルの氾濫や過酷な砂漠、そして数々の侵略者に支配されてきた、個人の力ではどうにもならない不条理の連続なんです。
そんな環境で、真面目に責任を感じて「なんでこんなことに!」って悩んでいたら、精神が持ちません。だからこそ、「起きてしまったことは神様のせいにして、笑って受け流す」という、徹底的なあきらめが発達したんですね。
トイレが野糞レベルに汚くても「マアレイシュ」。
自分が悪いことしても「マアレイシュ」。
この適当さは、過酷な社会を生き抜くための防衛本能なのかもしれません。
でも、もちろんあたたかい人もいる
これだけ言うと、エジプシャンのことが大嫌いになりそうですよね。でも、不思議なことに、この国を嫌い切れない理由もまた、彼ら自身にありました。
道を歩けば一生つきまとわれ、お金をせびられ、嘘をつかれる。
その一方で、驚くほどの親切心を見せてくれることもありました。
印象に残っているのは、料金には含まれていない朝食を振舞ってくれたことです。
急遽予定が変わり当日に宿泊先を変更したとき、変更したペンションに着くのは0時前後でした。が、オーナーは嫌な顔一つせずに車で空港から送迎してくれ、早朝にチェックアウトしないといけないことを伝えると、「そんなに滞在時間短いの!?」と朝一番で手作りのサンドイッチを持ってきてくれました。
なぜかオーナーも部屋に居座り(しかもソファで隣に座り)、食べてるところを見られながらの朝食でしたが(笑)
もちろんチップは渡しましたよ!
最後はハグして送り出してくれました。
他にも、どの宿泊先でも荷物をもってくれたり、目が合うとニコッと微笑んでくれたり。
彼らは「図々しい」のですが、冷たくはありません。他人を騙してでも1ポンドを毟り取ろうとする執念と、困っている旅人を放っておけない慈悲の心が両立している感じです。
人との境界線がバグっているほど近いからこそ、ムカつくし、でもあったかい。
そんな強烈な人間臭さが、エジプシャンの魅力なのかもしれません。
エジプシャンから見習うべきこと
日本に帰ってきて思ったことがあります。
私たちはすべての失敗を「自分の責任」として背負い込みすぎていないかな、って。
電車の遅延、ちょっとしたミス、将来への不安。全部自分でコントロールしようとして、できないと自分を責めて、胃を痛めている。
でも、あのエジプシャンたちはどうでしょう。
事故を起こしても、神様のせい。
遅刻しても、神様のせい。
騙しても、神様のせい。
もちろん、彼らの図々しさを100%真似しちゃダメですよ(笑)。
でも、「自分の力ではどうにもならない運命を、大きな流れに放り投げて笑う」というあの軽やかさは、今の私たちに一番足りないものかもしれません。
「今この瞬間」を生きるために、彼らはあえて適当で、あえて図太くいる。
不潔で、嘘つきで、最高にムカつく人たち。
でも、誰よりも「生きてるエネルギー」に溢れていたエジプシャン。
「まあ、仕方ないよね(マアレイシュ)」。
砂埃の中でそう笑う彼らの瞳を思い出すと、なんだか少しだけ、肩の力が抜ける気がするんです。
皆さんも、もし人生に疲れたら、ちょっとだけ「エジプシャン・メンタル」を思い出して、「あ、これ神様のせいだわ」って笑い飛ばしてみてください。
あ、でも!エジプトのレストランでレシートを確認するのだけは、絶対に忘れないでくださいね(笑)。

