【うんこだと思ったら違った】緊急開腹手術になった話①

「やっと出た」

1週間ぶりに、ようやく。

もともとかなりの便秘体質で、1週間出ないことも珍しくない私にとって、この“解放”はちょっとした出来事だった。少し大げさかもしれないが、軽く祝いたいくらいの感覚があった。

しかし、その数分後。状況は一変する。

排便後、下腹部に違和感を覚えた。とはいえ、その時点では深く考えていない。「便秘のあとだから」「腸が動いているだけだろう」と、いつものことのように受け止めていた。

ところが、その違和感は時間とともに明らかな痛みに変わっていく。

目次

いつもの腹痛ではないと気づくまで

1時間も経たないうちに、痛みは無視できないレベルに達していた。

じっとしていても痛い。体勢を変えるとさらに痛む。そして何より、冷や汗が止まらない。ここでようやく「これは違うかもしれない」と疑い始める。

それでもどこかで、「便秘の延長かもしれない」という考えが残っていたのも事実だ。すでに排便は済んでいるにもかかわらず、「うんこではないのか」と疑い続けているあたり、判断力はかなり鈍っていたと思う。(一応、私は看護師である。)

当時、家には私ひとりだった。ひとまず家族に連絡を入れ、帰宅を待つことにしたが、その頃にはすでに自力で動くことが難しい状態になっていた。最終的に、家族に促され救急車を要請する。

痛みの中でも残る“余計な思考”

今振り返ると不思議だが、あれほどの痛みの中でも、頭の片隅では別のことを考えていた。

「近所の人に見られたらどうしよう」
「野次馬がいたら嫌だな」

明らかに優先順位がおかしい。それでも気になってしまうのが人間らしいところなのかもしれない。担架で運ばれる直前、薄目で外を確認し、誰もいないことに安堵したのを覚えている。

よく「サイレンを消してきてくれないか聞いたけどダメだって言われた」なんて記事を読むが、まさにそれである。
本当に辛かったらそんなこと気にしていられないはずだなんて誰が言っていたのだろう。

本当につらかったけど、サイレンのことを考えると気持ちよく「救急車!」という気持ちにならなかった。
まさに、バンジージャンプから飛び込む前の「もうどうにでもなれ!」的なやけくそな気持ちで家族が救急要請している電話を聞いていた。(なお、バンジージャンプはしたことはない。)

診断のズレと、最初の3時間

実は私はもともと卵巣嚢腫を指摘されており、手術適応とも言われていた。ただし、それを3年以上放置していたという経緯がある。

そのため救急車内でその旨を伝えたのだが、返ってきたのは「尿路結石の可能性が高い」という見立てだった。

その時の私は、正直なところ原因が何であるかはどうでもよかった。(尿路結石は違う気がしたが。)
ただひとつ、「どこでもいいから早く処置してほしい」という気持ちだけだった。

結果として搬送されたのは婦人科のない病院だった。そこで痛み止めの点滴などの処置を受けたが、痛みはまったく改善しない。むしろ時間の経過とともに強くなっていく。

この頃には、理性は完全に消えていた。

「ほとんど残っていなかった」などという生ぬるい表現では足りない。きれいさっぱり、跡形もなく消失していた。

痛みはすでに「我慢できるかどうか」という議論の土俵にすら乗っていない。思考は機能停止し、判断力もどこかへ置き去りにされ、ただひとつ、「痛い」という感覚だけが異様な存在感で全身を支配していた。

もはや私は、冷静に症状を伝える患者ではなかった。

医師に対して「薬を」と訴えていたはずだが、それは“訴え”と呼べるようなものではない。

怒りとか呪いだった。

息を吐くとともに声にならないうめき声をあげていた。

あとから家族に聞いた話してあるが「なんかすごい声で何かを叫んでる女の人がいたんだけど、あんただったの?」と言われた。

多分、わたしは悪い妖怪に取りつかれていたんだと思う。

この病院で過ごした時間はおよそ3時間。体感としてはそれ以上に長く感じられた。もちろん救急対応をしてくれたことには感謝しているが、正直な気持ちとしては「この時間は何だったのだろう」と思ってしまう部分もある。

ようやく辿り着いた“本来のルート”

造影検査の結果、「おそらく卵巣嚢腫だが、この施設では判断できない」とのことで、婦人科のある病院へ転送されることになった。

ここでようやく、自分の既往歴と今回の症状がつながり始める。

転送先の病院で改めてエコー検査を受けたが、状況はシンプルではなかった。「嚢腫の位置と、現在の痛みの部位が一致しない」という。

そのため医師からは、「開腹して確認するしかない」と説明を受ける。さらに、「開けても原因が特定できず、そのまま閉じる可能性もある」とも言われた。


判断ではなく、感情で決めた選択

これまでに出産を含め、すでに3回の開腹経験がある。もちろん手術自体への抵抗がまったくないわけではない。

ただ、このときの私は、いわゆる“冷静な判断”をしていたわけではなかった。

正直な気持ちは、ただひとつ。

「もうなんでもいい」

リスクや可能性よりも、「この痛みから解放されたい」という思いが圧倒的に強かった。

医師の説明を受けたうえで、私が伝えたのは「どうにでもしてください」という一言だった。


次回:原因判明と、その後

このあと、私は手術室へ向かうことになる。

結果として原因は、卵巣嚢腫の茎捻転だった。3年以上放置していたものが、ここで一気に問題として表面化した形になる。

手術後、最初に思ったのは「もっと早く受診しておけばよかった」ということだった。

その後の経過については、次回にまとめたい。

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