わたしのライティングのこだわりは、“人間のうまみ”が詰まっているかどうか、という点にある。言い換えると、いかに“人間くさい文章が書けているか”を最重視している。
「人間のうまみが~」「人間くさい文章が~」と聞くと、真っ先に思い浮かぶのがAI記事のことではないだろうか。
悔しいけれどAIはすごいのだ
AIくんは、いろんな人の脳みそを食べて、それらを駆使しながら情報量の多い記事を書いてみせる。しかも、人間を超越したスピードで(AIなのだからそうでなくっちゃという気持ちもある)。さらに、わたしが書いた記事を読ませると、もう一人の自分が書いたような記事も作ってしまうのだ。
わたしはそれが悔しくもあり、怖くもある。自分の存在意義を失ったような気持ちにもなる。
では、人間のうまみとはいったい何だろう?それはAIに対抗できるパワーを持ち合わせているのだろうか?
AIと人間のうまみの関係性
わたしが思うに、人間のうまみとは人間の泥くさい部分にあると思っている。
たとえば、先ほど登場したAIくんに情報量で負けて「悔しい」という気持ち。AIくんはきっと、情報量で負けても「じゃあ次はそれを超える情報を集めてこよう」と思うだけだ。実に機械的である。
もし、AIくんが人間の悔しいとか妬ましいとかそういった泥くさい感情を描くとき、彼らはどうするか。膨大なネットの海から得た“データ上の感情”を書くだろう。つまり、生の、生きた感情がその言葉一つ一つにこもっていないのだ。
生の感情は、どう頑張っても人間しか出せないものであり、逆に人間もAIに頼り切ることはできない。
ライターのAIとの付き合い方
とはいっても、AIくんの急成長に戸惑う人もいるだろう。もちろん、筆者もそのうちの1人だ。ここでは、そんな同士に向けて、私がどんな風にAIと向き合っているかを伝えていきたいと思う。
AIが普及する世の中で、AIライティングが主流になるどころか、それを使わないと勝てないし遅れを取ってしまうような時代になった。
AIを使いたくないのに、使わざるを得ない。
全部人間の手で書きたい。
全部人力の方が心がこもっている気がする。
その気持ち、凄くすごーくすごーーくよくわかる。しかし、こう考えてみてはいかがだろうか。筆者は、AIのことをアンビバレントビジネスパートナーとして捉えて付き合っている。
アンビバレントとは、皆さんご存知の通り、相反する2つの感情のこと。ここでは、AIへの憎む気持ちと尊敬の気持ちの2つの感情を表している。さながら、某ロール〇ンナちゃんの心のようだ(正義と悪、2つの心を持つキャラクター)。
そして、1番大切なのが、このアンビバレントな気持ちを受け入れるということ。今までの苦しんでいる気持ちの根源は、AIを憎んでいる後ろめたさにある、と筆者は考えている。
AIを憎んだっていいじゃないか。
AIのスペックに悔しい思いをしてもいいじゃないか。
人間だから、もっと文章がうまくなりたいから、こんなにも人間くさい気持ちが湧いてくるのだ。
そして、この泥くさい気持ちというのは、AIは抱けない感情であり、人間としても尊く、大切な部分である。どうか、この人間らしすぎる感情を抱いている自分を丸ごと愛して欲しい、と筆者は願っている。
人間 VS AI決戦の行く末は?
しかしながらAIくんの体力は無限大で、知識欲もとどまることを知らないのは周知の事実だろう。
これから、人間も思いつかないような進化を遂げていくかもしれない。
これを、人間にとって“畏怖の存在”と捉えるか、はたまた“永遠のライバル”と捉えるか、それはひとりひとり違うだろう。
少なくとも筆者は、ライターのプライドをかけて永遠のライバル派としておく。
――いやまあ、これもすべてAIくんからすれば、人間の負け惜しみに聞こえているのかもしれないが…。
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