私の人生を動かしたことばは、有川ひろ氏の「空飛ぶ広報室」という作品に登場する以下のことばだ。
“なりたいものになれなくても、別のなにかになれる”
今回は、なぜこのことばが筆者・マユモトの人生を動かしたのか解説していこうと思う。
なぜ私に刺さったか、どのように人生を動かしたのか
私の将来の夢は教師だった。なぜ教師になりたかったかというと、学校が楽しすぎたから、という非常に単純でピュアで澄んだ理由だ。
でも、中学生でいじめに遭い不登校になった。
自己肯定感や存在意義はズタズタに切り裂かれ、「不登校になったこんな自分は教師になんかなれるはずがない、なってはいけない」と思い、深い闇に飛び込んでしまった。
そんな時に出会ったのが先ほどのことばである。
同作の主人公は、このことばにあるように“なりたいものになれなかった”人物なのだが、当時の私は夢断たれた主人公に深い共感を抱いた。そして、夢を絶たれ腐っていた主人公が、次第に“別のなにか”にやりがいを見出す様子は、中学生時分の筆者を大きく勇気づけたのだ。
「人生終わった」って思ってたけど、もしかして終わってないのかも?
一筋の光にしがみついた私は、なけなしの力をふり絞り通信制高校に入学。友人たちのキラキラJKライフを横目に、まだ闇から抜け出せない私は、ヘドロのように地面を這いずりながら高校生活を送った。
私はことばにすがった。もっといろんなことばを知りたいと思うようになった。
課題が終わったら、とにかくドラマや演劇を貪った。今思えば、今の自分に刺さることばやキャラクター、ストーリーを探しているだけだったかもしれない。そんな時、自然と心に浮かんだ気持ちがある。
私もことばを伝える側になりたい。
そうして私は、舞台演劇について学べる大学に入学し、脚本を書く日々を過ごしたのだった。
今の私はなにものなのか
なりたいものになれなかった私は、今、なりたいもの=ことばを伝える側になっている。そして皮肉にも、なりたいものになれなかった経験があったからこそ、なりたいものになれたのだと考えている。
今後、この長い人生の中で、何度もなりたいものになれない壁にぶち当たるのだろうと予想している。それは、なるべきものへの道しるべになると、今の私なら理解できるようになった。
またこれは極論なのだが、なりたいものになろうが別のものになろうが、どう転んでも私は私なのである。なにをどうしても私は私であることに変わりはないのだ。
さあ、これからなにになろう。なにを書こう。
そのひとつひとつが、私の血となり肉となることを願って。
コメント