「もう嫌われてもいいや」って思うとき、大体寝不足か、生き方をちょっと間違えてるのかなと考えてしまいます。
でも、そういうときこそ、人は一番正直になる気がします。
誰かに合わせすぎて、気づけば自分の気持ちがどこかに置き去りになっていた。
そんな自分を見つけた瞬間に出てくる言葉が、たぶんこの「もう嫌われてもいいや」なんだと思います。
たぶん、あの人は一生私を認めてくれない
「もう嫌われてもいいや」と思う瞬間って、心の中で静かに何かが終わる音がします。
怒りでも悲しみでもなくて、「これ以上説明しても、きっと変わらないんだな」とあきらめにも似た納得が訪れる。
最初は頑張るんですよね。
言葉を選んで、空気を読みながら、「ちゃんと伝えたい」と思って努力する。
でも、ある日ふと気づくんです。
「この人に分かってもらうために生きてるわけじゃないな」って。そのとき、心のどこかで認めてほしかっただけなんだと知る。
頑張っても変わらないとき、人は静かに諦める
「嫌われてもいいや」という言葉、投げやりに聞こえますが、実はすごく健全な防衛反応なんですよね。
相手を変えようとしても変わらないなら、自分から離れるしかない。
去る勇気は、我慢や防衛の延長線上にあるものだから。
「戦う元気がないんじゃなくて、もう戦う必要がないと気づいた」それだけのこと。
そして、そう思えた自分を少し誇ってもいいのではないかと思っています。
「もう無理だな」と思ったとき、人はやっと本音になる
ずっと分かってほしくて努力してきたのに、何を言っても伝わらない。
その現実を認めるのは、結構心が痛いし辛いです。
でも、ある日ふっと糸が切れるように、「もう無理だな」と思える瞬間が来る。
それは絶望ではなくて、自分に正直になるという決心でした。
怒鳴るでも泣くでもなく、ただ「もう違う世界を見てるんだな」と淡々と受け入れる。
そこに少しの寂しさと、ほんの少しの安堵が混ざっている感じがしました。
そしてふと思う。もしかしたら、あの人も同じことを思っていたのかも
ふと、怖い考えが私の頭をよぎる。
「もしかして、相手も私のことをそう思ってたのかもしれない」って。
私が「もう嫌われてもいいや」と思うように、あの人もきっと、「もうこの人には何を言っても伝わらない」と思っていたかもしれない。
そう考えると、少し笑ってしまいますよね。
お互いに「分かってもらえない」と思いながら、同じ空気を吸って、同じテーブルでお酒を飲んでいたのかもしれない。
結局、人間関係ってそんなものですよね。
鏡みたいに、お互いの限界を映し合ってる。そして、気づかないうちに少しずつ遠ざかっていく。
それは悪いことじゃなくて、お互いが次の自分に進む準備なのかもしれません。
嫌われても、ちゃんと生きていける
今回学んだのは、誰かに嫌われても、今いる世界は終わらない。
意外と明日は普通にやってくるし、ご飯もおいしい。コンビニの新作スイーツもちゃんと出ている。
人間関係の終わりって、ドラマみたいに劇的じゃなくて、もっと静かで日常的です。
それでもちゃんと、生きていける。
むしろ、無理して好かれようとしてた頃のほうが、息が浅くて、苦しかった気がします。
「嫌われてもいいや」と思えた瞬間は、他人の期待を下りるという、とても小さくてとても大きな自由の一歩なんです。
さいごに:嫌われてもいい、それくらいでちょうどいい
あなたもきっと、「嫌われてもいいや」と思うようになるまでには、きっと何度も我慢して、何度も飲み込んできた言葉があったはずです
それは弱さじゃない。
ちゃんと向き合ってきた証拠です。
でも、もう大丈夫。
頑張った自分をそろそろ楽にしてあげましょう。
「嫌われてもいい」という言葉は、誰かを突き放すためじゃなく、自分をようやく抱きしめるための言葉なんです。
そしてもしかしたら、あなたが誰かにそう思ったように、誰かもあなたにそう思っているかもしれない。
でもそれでいい。
その距離のぶんだけ、お互いが自分らしくなれるから。


コメント