1000冊以上漫画を集めていた私が気づいた漫画の変化

1000冊以上漫画を集めていた私が気づいた漫画の変化

長く何かに触れていると、その変化には案外気づきにくい。
毎日当たり前のようにそばにあるものほど、「前と何が違うのか」を意識する機会は少ない。

漫画も、私にとってはずっとそういう存在だった。
好きだから読む、面白いから読む。それ以上でも以下でもなく、深く考えることなくページをめくってきた。

でもあるとき、読み終えたあとに残る感覚が、以前と少し違うことに気づいた。作品の良し悪しではなく、読み方そのものが変わっているような感覚。どう読んでいるかなんて今まで意識したことはなかったけれど、一度ちゃんと立ち止まって、言葉にしてみようと思う。

これは、1000冊以上漫画を集めてきた私があらためて振り返る「漫画の読み方」と、その変化についての話。

目次

私にとっての漫画は

漫画を読むことは特別な趣味というより、歯を磨いたりSNSをチェックするみたいに日常の一部になっている。
物心ついた頃から私のそばには漫画があって、これまでに読んできた漫画の数は、もう数えきれない。紙で集めていた単行本だけでも1000冊以上あった。

漫画が身近になったきっかけは、父と姉兄が毎週少年ジャンプを読んでいたこと。
家にはいつも漫画が転がっていて、小学3年生くらいから私も自然と読むようになった。

中学生の頃がいちばん没頭していた時期かもしれない。二次元の世界にどっぷりハマって、授業中にノートの端にイラストを描いたり、友達と遊びで4コマ漫画やネームを描いてみたりしていた。毎週末、本屋の漫画コーナーで新刊をチェックするのも楽しみだった。

大学生になる頃には電子書籍が主流になり、今は漫画アプリで毎日少しずつ読む生活に落ち着いている。気になる作品があればネットカフェで一気読みするし、好きな作家さんの新刊は、今でも紙で買うことが多い。

形は変わってきたけれど、漫画が生活から消えたことは一度もない。

漫画で好きなシーン

私が漫画を読む上で好きなところは、登場人物が「自分自身」に気づく瞬間だ。
かっこいいバトルシーンとか、名言を放つ場面ももちろん好きだけど、それ以上に「あ、自分ってこういう人間だったんだ」「これは自分のこういうところが招いたことなんだ」と本人が理解するタイミング。

それまで当たり前だと思っていた考え方が、実は育った環境とか、周りの影響で作られてきたものだったと気づいたり。ずっと嫌だと思っていた相手と、自分が案外似ているとわかってしまったり。自分の弱さや傲慢さに打ちのめされたり。

そういう場面に派手さはないけど、本人の中ではかなり大きなターニングポイントだと思う。
そこを意識すると、物語が急に立体的にみえることがある。
登場人物が「人」として見えてきて、フィクションなのにちゃんと感情移入できてしまう。

そこに作者のすごさも感じる。
絵が上手いとか構成が良いとかそれ以前に、「人を描く力」があるかどうか。
登場人物に自分自身を見せることができる作者は、人間をよく見ている人なんだと思う。

だから私は、ただストーリーを追うだけじゃなくて、
「この人は、どうしてこう考えるようになったんだろう」
「何があって、この行動を選んだんだろう」
って、つい想像しながら読んでしまう。

漫画の読み方が変わった?

昔と今を比べて感じるのは漫画そのものだけじゃなく、それを受け取る側の環境や距離感も大きく変わったということだ。

特に変化を感じるのは、
・感想や解釈をすぐに共有できるようになったこと
・ジャンルや表現の幅が一気に広がったこと

この2つは、漫画の「内容」以上に、私たちの読み方に影響を与えている気がする。
ここからは、私自身が漫画を読んできて感じた、今と昔の読み方の違いについて整理してみたい。

感想が共有しやすくなった

漫画アプリが当たり前になり、各話ごとにコメント欄で感想を共有する文化が生まれた。
ネットの掲示板は昔からあったけど、感想を言い合うハードルが一気に下がったというか。

「ここ泣いた」
「このセリフ刺さる」
「このキャラ、今後こうなる気がする」
と共感できるのは楽しいし、自分では気づけなかった視点に出会えるのも面白い。
ただ、その便利さと引き換えに、少しだけ失ったものもある気がしている。

それは、「自分だけの感想」を持つまでの時間だ。

昔は、読み終わったあとはうまく言葉にできなくても「なんかよかった」「なんか苦しかった」という余韻を、自分の中で転がしていた。

今は、その前に他人の言葉が目に入る。
「これが正しい感想なのかもしれない」と思ってしまったり、
「私はそこまで感じなかったな」と、よく分からない違和感が残ったりする。

それが悪いわけじゃないけど「私はどう思ったんだっけ?」と、分からなくなる瞬間がある。

だから最近は、コメント欄を見る前に、少しだけ間を置くようにしている。
自分の中に残った感情を、ちゃんと拾ってから、他人の言葉に触れたいと思うようになった。

ジャンルが多様化した

もうひとつ大きく変わったのは、漫画のジャンルそのものだ。

少し前まで、友情・努力・勝利、恋愛、成長物語。王道と呼ばれるわかりやすい型があって、それを少しずつ変化させることで、新しい作品が生まれていた。

でも今は、その枠がほとんど意味を持たなくなっている。

日常系、癒し系、転生もの、チート系。
個人の体験をそのまま描いたエッセイ漫画や、SNSから生まれた作品。
ドラマが起きないこと自体を楽しむ漫画もあれば、現実ではありえない逆転劇を描く漫画もある。

正直「何でもあり」だ。

それは悪いことじゃない。
むしろ、漫画を読む層が広がって、「こういう話が読みたかった」という人がちゃんと救われるようになったとも言える。

ストーリーを考えて作るというより、自分の人生そのものを漫画にする人も増えた。
現実的で、身近で、共感しやすい。その人自身がストーリーになる時代になったのだと思う。

ジャンルが増えた分、読み方も、選び方も、より個人的なものになった。
それが今の漫画の面白さであり難しさでもあると思う。

AI漫画が主流になっても

最近は、AIが漫画を描く未来の話も、だいぶ現実味を帯びてきた。というより、既にAIを使った漫画は世に出てき始めている。専用の制作ツールもある。
正直なところ、私は「AIが描いた漫画=つまらない」とは思っていない。

人が描くことに意味があるのは、もちろん分かる。その人が何を見て、何を感じて、どう生きてきたかが、線や間に滲むのは確かだ。でも、もしAIがもっと進化して、世に出ている人気作品を大量に学習した上で漫画を描いたとしたら、それが本当に面白かった場合、「AIだから」という理由だけで否定できるだろうか。

たぶん、できない。

結局、私にとっていちばん大事なのは、誰が描いたかより、自分の心が動いたかどうかだ。
もしそれがAI作品だったとしても、自分の中に気づきや感情が生まれたなら、それはもう「いい漫画」なのだと思う。

これから漫画がどんなふうに進化しても、私はきっと同じ目線で読む。自分がどこで引っかかり、何を感じたのか。その感覚だけは手放さずにいたい。

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