人の“拠り所”になる、記事を書く「ライター・編集者」になる!

はじめまして!
メディアレトリバーのライター【Asami.i】です。

私は、中学時代(15歳)からライター・編集者の道を志し、周囲の反対にも負けず、粘り強く努力し続け、25歳のとき、周囲に認められるライター・編集者になりました。

今回は、「なぜ、周囲に反対されていたのか」や「夢を叶えた過程」を紹介します。

目次

子供の頃から文章を書くのが大好き!でも、国語は嫌い…

始まりは、小学5年生の頃の「自主学習ノート」。
私が通っていた小学校では、毎日、宿題の他に好きなものを自由に勉強する「自主学習ノート」の提出がマストでした。
最初は、数学の問題を解いたり、漢字の練習をしたりしましたが、だんだん飽きてきて…。

ふと、「詩を書いてみよう」と思い、5行の詩をそのノートに書いて提出をしました。
すると、先生にとても褒められて、毎日のように詩を書くようになり、文章を書くのが大好きに!学校や地元の広報誌に詩が選ばれるようにもなり、どんどん自信も付きました。

しかし、よく周囲にびっくりされますが、国語は作文以外は嫌い…。
すぐ答えが出る数学の方が好きで、得意分野でした。
そうです、ただただ「文章を書く」のが好きなのです!

中学生の頃に観た映画がきっかけで「ライター・編集者」が夢に!

中学生になると、ブログを書くようになりました。
しかも、2つも!
1つは詩を載せる、もう1つは自分で考えた面白い話を載せる。

詩を書くのと同様に物語を作って書くのも大好きでした!
その両方を友人や家族に読んでもらっていたところ、一人には「あなたの詩に感動して、私も前向きに生きようと思った」、そしてもう一人は「あなたの面白い話を読んでいたら、嫌なこと忘れられたよ!」と感想をもらいました。

当時から文章を通して、人に“何か”を伝えることにやりがいを感じていました。
でも、それをどう仕事に活かせるのか、中学生の私は分からず…。

モヤモヤしてるときに、母と姉と一緒に映画『未来予想図〜アイシテルのサイン〜』を観ました。これは、ドリカムの歌が映画になった物語です。
恋愛に全く興味がなかった(笑)のですが、松下奈緒さんが演じていた「編集者」という仕事に興味を持ちました。

「私も文章を通して、人に大切なことを伝えたい!」

それが全ての始まりでした。
映画をきっかけに「編集者」「ライター」という職業を知り、夢になりました。

周囲は反対… でも負けない!

「私は将来編集者・ライターになりたいです」と中学生の頃から先生に話していました。
でも、中学も高校も大学も担任の先生や進路指導の先生には「その夢、諦めなさい!そんなの才能がある一握りしかなれないし、第一、茨城(地元)でなった人なんていない」と言われ続けていました。

そのほか、周囲の人たちにも、夢を語ると「ふんっ」と鼻で笑われることが多々…。
子供の頃から負けず嫌いの私は「絶対になってやる!意地でも負けない!」と、人に頼らず、全て自分で調べて、行動していきました。

大学3年生から、東京の出版社や編集プロダクションに自分でアポを取り、話を聞く毎日。
インターンシップも経験し、ますます夢を叶えたい気持ちが強くなりました。

新卒でライターの世界へ

当初はどこかの出版社でアルバイトから入社することを考えていたものの、大学4年生、周囲が就活してる圧力に負け、私も東京のライターや編集者に近い仕事の会社を数社受けました。

東京のEC関連のWEBサイトを運営している会社に新卒で入社することができました。
記者として、EC関連のニュースを書く日々。

もちろん、やりがいはありましたが、常に感じる違和感…。
私は、女性向けの記事を書きたいと思っていたので、違う記事を書かなければいけないことに葛藤していました。

1年が経つと、同期が辞め、同僚も次々と辞めていきました。
そのとき、私自身も「本当にこのままで良いのか?」と思い、ついに転職を決意。

女性メディアを扱う、小さな編集プロダクションに編集アシスタントとして転職できたものの、そこは俗に言う、ブラック企業。
朝7時に出社しても、終電で帰る。土日も家で仕事。
「編集者はとてつもなく忙しい仕事!当たり前」と常に自分に言い聞かせていました。

しかし、半年が経って、食事も睡眠も取れなくなり、どんどん痩せていき、ドクターストップ。
それでも私としては、頑固として嫌!!!
「ここを離れたら、一生編集者になれない」と本気で思っていました。

だけど、家族の説得の上、休職をして実家に戻ることに…。

休職時に気付いた、目指したい「ライター・編集者」

家族とゆっくり過ごす中で、元の自分に徐々に戻っていき、「あの会社はブラックだった」ことにもようやく気が付き、そのまま退職しました。

1ヶ月が経って元気を取り戻し、転職活動を開始。
まずは、ブラック企業に勤めていた時代によく見ていた働く女性に向けたWEBサイトに連絡をしました。
そのサイトは、忙しく働く女性がスキマ時間に楽しく読めるような記事がたくさんありました!

私自身もワクワクしながら読んでいて、ふと、「私もワクワクを届けたい!人の拠り所になる記事を書けるライター・編集者になりたい!」と思ったのです。

しかし、そこは大手の出版社で、しかも、アルバイトの求人の応募は1年以上前…。
ダメ元で連絡をしてみると、数週間後に「ちょうどアルバイトが辞めるので会いませんか?」と連絡をいただいて、すぐ面接を受けました。
その「ワクワクを届けたい」「人の拠り所になる記事を書きたい」という素直な想いを伝え続け、見事、合格!

しばらくはアシスタントとして働いていましたが、半年後、25歳の時、そのWEBサイトに「編集者・ライター」として名前が掲載されました。
それを見たとき、これまでにない喜びと興奮で、アパートの小さな部屋で飛び跳ねるほど大喜びしました。

夢を叶えた瞬間であり、今でもあの感動を忘れません。

数ヶ月後、そのWEBサイトは閉鎖になってしまったものの、別の部署の雑誌メディアと統合することになり、私もそちらのWEB編集者・ライターに!
しかも、その雑誌の編集長が素晴らしい方で、なんと、その雑誌にも名前が掲載されました。

日本全国で販売されている有名雑誌に名前が載ったときも嬉しくて嬉しくて…。
もちろん、地元の茨城にもその雑誌は発売されていて、夢を反対した人々を「見返した!」と本当に思いました。
母親も友人も大喜びで雑誌を何冊も買ってくれ、私も本屋に行く度に雑誌に載ってる自分の名前を確認しては喜んでいました!

終わりに…

これが10年かけて夢を叶えたストーリーです。
その後、英語ライターを目指し、1年2ヶ月間カナダに留学しましたが、そのストーリーもまたお話します。

32歳になった今、編集者・ライターとして8年目に突入しましたが、今も変わらずにとても楽しいですし、「人の拠り所になる記事を書く」という思いも変わっていません。

きっと、一生変わらないですし、これからも読者にワクワクやホッとするような安心感を届けられるよう、自分自身も楽しみながら記事を書いていきます!

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